No.127 さすらいの一匹コオロギ的発想。

このブログも、やっと夏になると暇になる商売閑散期に書くことが多い。正直冬は多忙で体力的に書きこみがキツイ。では、今日も一著書きますか。
◆人生設計で、子供の時に夢描いたものと、実際自分が60歳を超えて到達できた達成度とどう違うか。
当時は、時代の流れが緩やかで、まだまだあまり競争社会でもない時代であった。
とりあえず、食べることが第一目標で、勉強などは二の次。夏は毎日川へ泳ぎに行き、少し危険なことをしていても親も子がどこで何してるやら心配する余裕もなく一生懸命働いていた。”親も子を食べさせることが最優先”
こんな中で、”青年大志を抱け”と言っても、大志を抱くより、夏はスイカ、秋は柿を”一寸失敬”して”オヤツ代わりを抱いて、走るのが先。
ただ,こんななかでも、近所の金持ちの”おばさん””おじさんに”にゴマをすって、食べるものをせしめること。
テレビが見たくても、金持ちの家にしかない。”ならば、いい子ぶって、お手伝い。その御褒美に”月光仮面””プロレス中継を、部屋の片隅から、気兼ねしながら見させていただく。これも外交術。
こんな、テレビの有るような家の金持ちに成りたい!。この思いも一つの勉強! ”おかさん”うちもテレビ買わないの?すかさず母が・・・・「なに寝ぼけたこと言ってるのよ、バシ!」・・・・・”そんなこと初めからわかってるわい!聞いてみただけよ!
◆そして時代は徐々に競争社会、格差社会へと変化。高校出るころは、学生運動まっ盛り、あちこちで大学紛争。私の幼友達にも、その過激思想家がいて、後の連合赤軍の中枢に位置していったものもいる。そして会社に入り、転勤も6回ほどした。正にこの時代が”生きるための「さすらいの一匹コオロギ」的生活。
バブルあり、オイルショックあり、正に変化の時代。でも今の時代変化に比べれば、まだまだ楽しい時代背景、一生懸命勉強すれば東大にも行けた、働けば金持ちにもなれた、全体的になんとかなった時代。夢も持てた時代。自分も、会社に入ったからには、チャンスがあれば末は社長になりたいと、最後までもその思いを持ち続けた。ただ結果は、”そんな甘いもんやあらしまへん!”でも、それなりに満足できたサラリーマン人生。
◆はたして今の若い人たちはどうだろうか、金持ちでなければ、最高学府の東大もままならず、資産家に生れなければ、金持ちにはなかなかなれない。政治家になるにも、二世か、タレントでなければ難しい。貧乏人はいつまで行っても貧乏人。・・・・てな風に物事考えたら、夢も希望もない、隙間をかいくぐって、ちょっとでも上に出るために、「道」を探して前進あるのみとかんがえて、この年になってもまだ前へ前へ、これも団塊世代の”コオロギ根性”
コオロギも、草むらでただ鳴いているだけではないだろう。目的を持って生きて、そのシーズンで美しく鳴いて、短い一生を終える。・・・・ただ人は醜く貪欲に生きていける。
◆何やら愚痴めいた話になったが、私は、常に”楽天家”、晩年はいい人生があると”手相・人相”に表れている。・・・・てな話を周りにして、これからも、”コオロギ人生”継続です。
どなた様も、暑い夏を無難に過ごして、涼しく、コオロギの鳴く、心地いい季節までがんばりましょうか